こんばんは、パスカルです!
実はパスカル、歴史が大好きなんです!
戦国時代や幕末が特に好きです(^ ^)
また、お城巡りが趣味なんです!(趣味と言えるほど巡ってないかも(笑))
そこで、本日はあるお城について書きたいと思います。
そのお城は・・・
姫路城です!!!
皆さんご存知ですよね!姫路城の簡単なプロフィールは
別名:白鷺城(はくろじょう又は、しらさぎじょう)
建築年:1346年
初代城主:赤松貞範
建築年が1346年??江戸時代辺りじゃないの?
そう思いませんでしたか?パスカルもそう思っていました。
姫路城の始まりは鎌倉時代が終わり、室町時代が始まった頃になりますね。
姫路城の公式ホームページより引用すると、
1333年に赤松則村(円心)、護良親王の命により挙兵。京に兵をすすめる途中、姫山に砦を築く。
1346年に赤松貞範、姫山に本格的な城を築く。
とあります。
1333年といえば、鎌倉幕府が滅亡した年です。
この戦乱の世に、赤松則村が後醍醐天皇側として、つまり反鎌倉幕府として挙兵し、姫山に砦を築きました。
当時は城を作るというより、砦が作られ江戸時代以降に認知されたような”西の要所”というポジションではありませんでした。
赤松則村は、姫路城の歴史を語る上で外せない人物です。
赤松氏の4代目当主として、また元弘の乱の際は護良親王の命で後醍醐天皇側の武将として活躍した人物です。鎌倉幕府滅亡後は播磨守護となりました。
しかし護良親王が失脚すると、則村の立場も悪くなります。ただ、則村には再びチャンスが訪れます。1336年に足利尊氏の側近として再度播磨守護職を授けられ、播磨各地に防衛拠点を築き活躍しました。
姫路城は改修、増築を経て今の形に至りますが、基礎となる姫路城は1346年、赤松貞範が築いたと言われています。
姫山に砦が築かれ13年後の出来事です。赤松貞範は砦を築いた赤松則村の次男で、父と同じく後醍醐天皇、足利尊氏を主君として活躍した武将です。
1346年といえば足利尊氏による室町幕府の時代に突入しており、この時、初期の姫路城を赤松貞範が築きました。その後は赤松氏側の小寺氏による城主体制が続きます。
1441年、嘉吉の乱で赤松氏が断絶し、山名氏が播磨守護に。しかし、1467年の応仁の乱で再興した赤松氏の赤松政則が播磨国を取り返し、その後はまた赤松氏側の武将小寺氏が姫路城主を務めます。
・・・とまだまだ今の姫路城のように立派なお城には程遠いところですが、本日はとりあえずここまで。
ではまた!
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