お城シリーズ2

こんばんは、パスカルです!

さて、昨日に引き続き姫路城についてです。

昨日は赤松氏側の小寺氏が姫路城主を務めるところまで紹介しました。

本日はその続きです。

姫路城は基本的に赤松氏一門・宇野氏庶家の小寺氏が城主を務めてきましたが、1566年ごろから赤松氏内で内紛とも呼べる対立が起こり、織田信長まで介入する戦いに発展。

紆余曲折を経て、姫路城は小寺氏の家臣・黒田氏が重隆の頃に城主となりました。

黒田孝高(官兵衛)は家督を継ぎ、姫路城14代城主に。1569年青山・土器山の戦いでは3,000の敵襲に300の兵で打ち勝つなど手腕を発揮します。

あの黒田官兵衛も姫路城主だったんですね!

そして黒田孝高は、秀吉に播州統治の要所として姫路城を献上し、1580年に羽柴秀吉が姫路城の城主となりました。

なんど官兵衛に続きあの豊臣秀吉まで!

城主となった秀吉は天守をもつ石垣作りの城を築き、さらに城下町も作られました。秀吉と言えば大坂城のイメージですが、実は大坂城へ移る数年前は姫路城にいたんですね。

そして秀吉が茶会を開いたり、明智光秀を倒し天下人として大坂城へ拠点を移したことから、姫路城は出世城とも呼ばれています。

天下統一を成し遂げる礎となった”姫路城”。この名で呼ばれるようになったのは、実はこの頃からと言われています。

秀吉の死後、関ヶ原の戦い後は池田輝政が城主となり、城を増強しました。

この改修の際に外壁が白くなったと言われており、今もなお白く輝く姫路城は池田輝政が築きました。

その後、1617年に本多忠政が城主となり、三の丸、西の丸などを増築しました。より一層、西日本の要所として姫路城は重要な役割を担うようになります。

皆さん大政奉還など幕末からの大戦で姫路城はダメージを受けなかったのか?と気になりませんか?

実は姫路城は幕末に新政府軍に囲まれ、岡山藩から威嚇砲撃を受けて無血開城し、姫路城を明け渡します。

また、太平洋戦争では空襲で甚大な被害にあい、姫路城内にも着弾しましたが、焼失せずに済みました。姫路城の白い外壁は目立つため、大戦中は黒い網をかけ、目立たないようにしたという記録もあります。

・・・本当によかった。姫路城は今や日本だけでなく世界の宝ですからね。

そして1993年、日本初の世界文化遺産に登録されました!

実はパスカル、まだ姫路城を訪れたことがないんです・・・

早く行ってみたい!!!

ではまた!

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